アフリカで育ち、アフリカを想い続けるシンガーソングライター香蓮の徒然なるままに。第二話:音楽との出会い。アフリカきっかけで歌手デビュー!?

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前回、私とアフリカの出会いを記事にさせていただきましたが、今回は音楽との出会いを書かせて頂こうと思います。

 

その前に私自身について。

 

私を一言で言うと、人見知り。

 

もう一言付け加えると、あがり症。

 

ついでにもう一つ付け加えると、びびり。

 

宅配のお兄さんと会うのさえ嫌で、ドアに「ドア前に置いといてください」と張り紙を書くほど。

コンビニも前でたむろしてる若者は今でも怖い。

 

人が多いところはすごい苦手。 かと言って少人数に強いわけでもなく、少人数も苦手。

 

人前に立つなんて信じられない!と思っていました。

今ステージに立たせて頂いていますが、正直自分さえもまだ信じれていないくらいです。

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小さい頃の私を知ってる人は、「香蓮が歌手とか信じられんね〜」と言います。

 

 

 

今は音楽という夢と出会いましたが、それまでは夢という夢もなく、目標もなく、努力とか必死とか情熱とかそういう言葉とは無縁の生活を送っていました。

 

アフリカの時に、たくさんの動物たちに囲まれて育ったので、小さい頃の夢は、「ムツゴロウ王国で働く」「日光猿軍団」で働く猿の調教師が夢でした。

 

それもあってか、私の初めて持った夢は「イルカの調教師」でした。

高校を卒業して、単身オーストラリアへ。 しかし、実際イルカと関わってみるとこれじゃないと思い帰国。笑

 

帰国後、両親のすすめで、京都にあり英語の勉強ができるという夜間の短期大学へ進学しました。

奨学金をもらいながら、バイトで生活費を稼ぐ。バイトと学校の往復の毎日でした。

 

そんな、バイトと学校だけの生活の中、音楽と出会いました。

 

短大を卒業する頃には、「音楽で食べていきたい」という思いが強くなり、とにかく手当たり次第にオーディションを受けまくっていました。

 

そんな中、東京で受けたオーディションで今所属している事務所のプロデューサーと出会い、そこから私の音楽人生が一気に動き出しました。

 

 

気づけばあれからもう10年目になります。

 

今は北海道から奄美大島まで、全国各地のイベントで歌わせて頂いています。

 

ラジオのパーソナリティーをやらせて頂いたり、東京ドームの「ふるさと祭り東京」のステージに立たせて頂いたり、地元宮崎の口蹄疫メモリアルイベント「水平線の花火と音楽」1万5000人の前で歌わせて頂いたり、全国のカラオケDAMで曲が配信されたり、最近ではソングライターとしてもゆるキャラや企業・団体の楽曲を制作させて頂いたりしています。

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山あり谷ありの道ですが、たくさんの方の支えの中で頑張る事ができています。本当に感謝しています。

 

音楽を始めた当初と今では、なんで自分が音楽をやるのか、これからもやっていこうと思っているのかというのは大きく変わり、音楽を通して叶えたい夢もできました。

 

その夢の一つに、というか最終目標の一つに「おっきなチャリティーコンサート」というものがあります。

 

これは、アフリカで過ごした2年間が大きく関わってきています。

 

 

もしアフリカに行かなかったら、もしアフリカにずっと住んでいたら、もし日本じゃなく違う国に今住んでいたら、この夢はなかったかもしれません。

 

けど、私はアフリカに住み、日本に戻ってきた。

 

 

いつか私の原点を作ってくれたアフリカに恩返しがしたいと思っています。

 

この夢については長くなるのでまた機会があれば書きたいと思います。

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後日談ですが、東京に出てきて数年が経った時、プロデューサーがあのオーディションで賞も何も取らなかった私になぜ声をかけたかという話を関係者の人と話しているのをたまたま聞いてしまい、衝撃とショックを覚えたのを今でも覚えています。

 

「特に、曲や歌詞が良かったわけでもなく、遠すぎて顔はよく見えなかったし、ただ、プロフィールに「アフリカで育った」って書いてあったから、なんか面白そうだと思って声かけたのがきっかけなんですよ〜」

 

 

ここでアフリカつながるんか〜い笑

 

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次回へ続く。

 

香蓮Official Page

 

http://www.karensong.jp/

 

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