インターン姫野の突撃インタビュー!第7回: タンザニアの政治中核を握っていた、現駐日タンザニア大使に壮大な政治家人生を聞かせて貰った。(前編)

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おはようございます。

3か月間のインターンシップが終わり、嬉しいのか悲しいのかわからない姫野鉄平です。

いつも、記事をお読みくださり、ありがとうございます。

今回の『インターン姫野の突撃インタビュー』は、父の紹介で、なんと駐日タンザニア大使の Mathias Chikawe氏にお話を伺ってきました!

 

Chikawe氏は2016年から、前タンザニア大使のDr. Batilda Burianの後任として日本に赴任しました。タンザニア政府で法務大臣、そして自治大臣などを経て、駐日大使になられました。CMM(Chama Cha Mapinduzi)というタンザニア内での与党に属されていて、1977年から活動されています。

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現駐日タンザニア大使へのインタビュー開始っ!

 

姫野:今日はどうぞ宜しくお願いします。

 

Chikawe:こちらこそ宜しくお願いします。

 

姫野:早速質問に移らせていただきますね。

最初の質問なのですが、Chikawe氏は現在、駐日タンザニア大使として日本におられますが、着任前に日本に来られたことはありましたか?

 

Chikawe:あります。日本に初めて行ったのは1994年ですね。桜のシーズンだったのを覚えています。

 

姫野:桜といえば、春ですね。その際はどのような目的で日本に行かれたのですか?

 

Chikawe: その時はJICAのプログラムで、タンザニアから数人を日本に派遣して、日本や先進国の行政を学びに行くというものでした。滞在期間は1ヶ月間でしたが、色々と学ぶことができて日本での滞在はとても充実したものでした。

 

姫野:行政を学びに行ったと言われましたが、その頃には政治に関わる仕事をされていたと思うのですが、いつ頃から政治家になりたいと思われたのですか?

 

Chikawe:実は政治家にはなりたいと思ったことは一回もありません。2004年までは公務員として政治に関わってきました。

 

政治家になりたくないのに大臣にまでなってしまった経緯は!?

姫野:そうなんですね。Chikawe氏ほどの政治家で、政治家になりたくはなかったとは驚きです。では、どういう経緯で政治家になられたのですか?

 

Chikawe:どうしてこう政治家になったかというと、ただ前の大統領と関わりがあったからだけです。それがなければ、政治家にはなっていなかったと思います。

 

姫野:前大統領は、Jakaya Kikwete氏ですね。経緯を詳しく教えてください!

 

Chikawe:タンザニア前大統領、Jakaya Kikweteは、私の大学の同級生で一緒に政治学を学んでいた仲でした。ダル大(University of Dar es Salaam)の生徒会でも、彼はいわゆる、大統領(生徒会長)で、そして私は外務大臣のようなポジションでした。

卒業しても彼との、友人関係は続きました。そして、1994年、彼は私の家に来て、いつもとは違った様子で、私に「お前は政治に関わらなければいけない」と政治家になるように説得してきました。私は当然断ったのですがその後も3回ほど説得をしに来ました。

なぜ、断っていたかというと、政治家には、絶対向いていない性格だと自分で思っているからです。その前までは、州議会議事堂で働いてはいましたが、それは歴代大統領に相談役として雇われていただけでした。

 

姫野:ダル大の生徒会でご一緒されていたのですか。ダル大の生徒会の構成は、政府の様になっていると聞いたことがあります。

やはり、生徒会長をやる人っていうのは、政治家になる人が多いのですかね。そして、Kikwete氏の説得には4回目の説得には折れたのですか?

 

Chikawe:ダル大の生徒会は、大学を国の様に扱って動かしますから、政治家とやることは似ているため多いと思います。

Kikweteの4回目の説得にも、『YES』とは言いませんでした。

私は、Julius Nyrereを含めた、すべての大統領の相談役でした。最初の大統領とは二年間働きました。次の大統領とは十年間働きました。そして、Mkapa元大統領と九年間働きました。

しかし相談役で満足はしていたのです。そこまで政治に深く身を沈める役職ではなかったからですね。

ですが、Kikweteは彼が大統領になるから一緒についてきてくれと言いました。それは、相談役としてではなくて、一緒に行く仲間、政治家としてです。

それは、望んでいなかったので、私は断固拒否したました。

そうしたら、彼は頭が良いので、私の妻に彼が私を政治家としてついてきてほしいと伝えたのです。何を伝えたかわからないのですが、妻はこれに大いに賛同し始めました。

なので今度は、妻を味方につけて説得にくるわけです。そこで私は折れました。妻には弱いんです(笑)それから、私は議会の一員になり、法務大臣になりました。

 

姫野:すごい話ですね・・・!議員になられた後は、どのようなことをされていたのですか?

 

Chikawe:議員になった後は、2010年までの五年間法務大臣をし、そして国務省の国務大臣、ここでは汚職捜査やスパイ捜査、ガバナンスをやっていました。

2011年のクリスマスに、その時の大統領から一本の電話がかかってきました。クリスマスだから、私の家族、親戚一同はその時、クリスマスのランチを食べるのを待っている時でした。そんな時に彼は、どこにいると聞いてきて数分だけでもいいから、来てくれと言いました。

まだ、ランチも始まってはいなかったので、数分だけならいいかと思い、事務所に向かいました。着いたのが4時前で、結局帰ったのが夜の11時。もう、クリスマスパーティは終わる頃でした。

話した内容は、新憲法について。

私はもともと弁護士だったので、憲法についてのアドバイスをしました。この憲法を導入したら、何が変わるかなどを話しました。その話が終わると次はこれを明日アナウンスするから、それのスピーチを書きたいと言われました。みんなで、スピーチの内容を考え、やっと終わったと思うと、彼は私に法務大臣になってほしいと言われ、その結果、私はまた法務大臣の座に戻りました。

その任期中は法務大臣として、新しくできた憲法の資料などを作りました。その新憲法を法務大臣としてやれることが済んだ時、彼は私を内務大臣に任命しました。

ちょうど、前の大臣が引退した直後のことだったので、任命もスムージに行き、私たちは新憲法を承認することができたのです。それが終わったら、その頃にはもう次の選挙の期間でした。私は彼の元で彼を応援しました。

 

姫野:それはすごい大役を果たされましたね。Chikawe氏は、法務大臣時代に新憲法以外にも、*呪術医(Witch Doctor)の廃止という偉業もされていますよね。その選挙では、Kikwete氏は当選されなかったですね。

 

*呪術医(Witch Doctor)

タンザニアには医者などの代わりに呪術医が魔法を行使し、動物、植物や鉱物を調合した薬を使って患者を治療します。タンザニアには、これが人々に深く浸透していました。ですが、呪術医は幸運と健康を促進すると言って、アルビノの人たちの骨や体の一部を他の物質と調合して、人々に売っていました。アルビノは、生まれつき色素が足りずに肌が白い方々です。黒人社会の中では、それがとても目立ってしまうのかもしれませんね。そのせいで、裏マーケットでアルビノの価格が上がり、アルビノ狩りが行われていたのです。今でも、まだタンザニアで魔法は信じられていると思うのですが、それを公的に禁止したのがChikawe氏です。

 

Chikawe:はい。彼は当選することはできませんでした。私も選挙が終わると、引退しました。もうこれ以上、政治には関わりたくなかったのと、私を政治家にした張本人のKikweteが引退するからです。もう、政治に関わる理由がなくなったということですね。

私は政治家を引退してから、自分の法律事務所を設立しました。ある日、法律事務所でいつものように仕事をしていると、突然電話がかかってきました。

電話をかけてきた相手は現在の大統領、John Magufuliからでした。急にかかてきて驚きはしましたが、内容を聞くと、復帰してほしいとのこと。そして、駐日タンザニア大使として私は東京にきました。

 

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駐日タンザニア大使として日本で感じること

 

姫野:これが、Chikawe氏の政治家としての経歴ですか、本当にすごいですね。本にしたら面白そうです。全ての大統領のそばで、物事を見てきたわけですから色々詳しくもっと聞きたいです。

タンザニア大使として日本への着任が決まった際、どう思われましたか?

 

Chikawe:言ったように引退後はもう政治とは関わらないつもりでした。ですが、大使の仕事は国を代表していくというものです。それは、とても光栄で素直に嬉しかったです。

大使としての仕事は興味深いもので、例えば私たちは他国の大使たちろゴルフをすることも仕事の一つなのです。他にも、パーティーに参加することが仕事でもあるのです。こんな仕事はした事がなかったので、大使としての仕事内容を読んだ時は驚きました。(笑)

ですが、私は大使として日本にいるので、タンザニアを代表して行動していることに常日頃心がけています。私の一言がタンザニアの一言として捉えられる

そんな環境なので、日本に来る際は嬉しさ半分、タンザニアを代表してくるというプレッシャーもありました。

 

姫野:国の大使というのはとてもかっこよくて、僕も憧れます。でも、やはりChikawe氏も言われた通り、“自分の一言が国の一言“というのは大変重みがあり、そこに苦悩もあるかもしれないですね。生活面で大使としての苦労はありますか?

 

Chikawe:生活面での苦労は特にないです。運よく、タンザニア政府は他のアフリカの幾つかの国の政府より、裕福なので私は困るところはないですね。

ですが、他の国の大使などに聞くと、時々自国の政府から資金が送られて来ず、困ることがあると言っていましたね。駐日タンザニア大使館はとても良くて、一度もそのような資金関連の問題があったことがありません。

 

姫野:お金が送られてこないとは大変ですね。生活もできなくなってしまうではないですか。特に、社交のためにお金を使えなくなるというのは大使館としても、国の外交としても致命的ですね。ところで、日本のことをとても気に入っていただいているとの事ですが、日本に来て一番印象的だった事は何ですか?

 

Chikawe:私は一度、天皇陛下にお茶会にお呼ばれした事があるのです。お茶会は皇居で開かれました。天皇陛下、及び皇后陛下にお茶会に呼ばれた事はとても誇りに思っています。

特に印象的だったのが、皇后陛下が私に通訳なしで英語でお話になったことです。皇后陛下は私の妻に興味深そうに、タンザニアのことを聞いてくださいました。これが私の日本で一番印象的だったことです。

 

姫野:天皇陛下とお茶会とはとても貴重な経験をされていますね。

 

Chikawe:とても光栄に思っています。皇后陛下が話される英語がとても流暢だったのを覚えてます。

あと、皇居に行く際の話なのですが、予定を組まれる方々がとても時間に厳しかったのを覚えています。彼らが私に言う開始時間などが、10時37分発というように、予定が分刻みなのです。その頃は、私が日本に着任をして間もない頃だったので、私はそれを聞きながら、ふんふんと頷いていたものの、なぜそこまで厳密なのかと疑問を抱いていました。タンザニアでは、予定があってないようなものですから。(笑)

 

後編に続く。

 

 

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